研究班・課題の成果

環境と景観の資料化と体系化

課題3 環境に刻印された人間活動および災害の痕跡解読

海外神社研究組:戦前、アジア・太平洋地域に建てられた約1600社の海外神社のうち、105社の跡地を調査したが、そこから得られた結論の第1は、海外神社跡地の景観の変容は(1)「改変」、(2)「放置」、(3)「再建」、(4)「復活」の4つの類型に分けることができるということである。

第2に、このように異なる景観変容をもたらした要因として、以下の5点を析出した。(1)は戦後における日本と海外神社が建てられた当該国家・地域との関係を含む政治的要因である。(2)は日本及び当該国家・地域における社会的変動である。(3)は当該国家・地域における経済的発展の度合いである。(4)は当該国家・地域における文化伝統の問題。そして(5)は当該国家・地域における政治的・宗教的な支配勢力交代の「刻印」という問題である。さらにその上で、以上の5つの要因はそれぞれ相互に絡み合い、また増幅、あるいは消去しあいながら、海外神社跡地の多様な景観を形作っているのだということを明らかにした。

租界研究組:戦前に中国の数都市に置かれた日本租界の現況、特に街路、工場やそれに敷設した日本人社宅、中国人労働者住宅の現状について、現地に住む中国人への取材を交えて調査し、加えて建設当時の写真や図面、文字資料を収集分析することで、日本人が住んでいた当時の実態やその後現在にいたるまでの変化を跡付けた。総じて、日本人が住んでいた当時の空間は現地から孤立したものだったが、日本人が去った後には、街路や建物をそのまま利用しつつ現地に溶け込む空間へと変化していったことを明らかにした。

また、朝鮮における倭城が、古来現地にあった邑城とは性格を異にして、侵略拠点の役割を担うものであったことを、合戦図や屏風絵を分析し文字資料で補強することで明らかにした。


災害痕跡組:幕末から明治中期にいたる錦絵、石版画、銅版画、写真とめまぐるしく進展するメディアの技術的発展と社会的受容を跡付ける前半の研究成果と、後半の関東大震災の絵葉書を中心とする研究成果を通じて、メディアの近代化、大衆化の過程をほぼフォローすることができた。近世から近代への転換期のメディア変遷史として位置づけが可能なこれらの時期の特徴は、従来から大衆に親しまれてきた錦絵類と西洋からの技術の導入によって切り開かれたメディアの新領域が相拮抗する状況から新メディアが徐々に大衆化する過程でもある。さらに、災害メディアとしての特徴をあげるならば、貧富の差なく襲う災害では一時的に従来の階層性が消去される瞬間を現出させる。そのため、社会的利害を超えた感覚が蘇生、自他の被害に敏感に反応する状況が生み出され、社会的関心が媒体としての特定のメディアとその情報内容に過度に集中する傾向が強くなることを明らかにした。

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