出典:
『日本地理体系第十一巻 台湾編』改造社、1930年5月
原資料種類:
写真(前)
原資料付加文字情報:
北白川宮殿下御終焉の地 近衛師団長北白川宮殿下は十月十八日嘉義御出発頃からマラリヤの気味にて御発熱あらせられ、監水港会文渓と、段々台南に近づくに随って御重態の御模様であった。部下の人々は之を気遣って御休息をお勧め申し上げたのであったが、殿下には只管一日も早く台南御入場を急がせられ病を推して御進軍あらせられた。終には御歩行も御痛苦に渡らせられ擔荷に召して尚も部下を総督しつつ南進あらせられたのである。時は明治二十八年十月二十八日我軍は予定の如く台南に入城し殿下には御重態に陥らせられ午前七時終に薨去あらせられた。御遺跡所は実に其の最後の営舎である。(尾崎秀眞)
原資料内容:
北白川宮能久親王が亡くなった場所とされる、現地民家の外観
原資料サイズ:
140×90
掲載ページ:
137
備考:
1925(大正14)年10月31日、官幣中社に列格